享保2年1月26日。
戌(午後7時)頃、枝木町で火事だと騒ぎがある。
平岩十右衛門長屋の家持の火燵から火が出たと。
夜が更けてからもどこかの火事の噂がある。
これを文左衛門は知らず。
大津猶右衛門が女を殺して死ぬ。
猶右衛門は新左衛門の弟であった。
広小路で鍛治屋町と大津町の間に住む伯父の御代官瀬左衛門の養子となっていた。
女は石黒長右衛門の娘で、瀬左衛門の養女にしてゆくゆくは猶右衛門の妻にしようとし思っていたが、2人は密通してしまった。
瀬左衛門は無法者で性格も悪く、そもそも2人を手元に置くことが良くなかった。
下僕なども瀬左衛門を恨んでいた。
この日女の母を呼び寄せ、2人に意見をさせたと云々。
しばらくすると女は密かに男の部屋に入った。
女は自ら咽を突き、死んでしまった。
男は肌を脱いで腹を切り、咽へ脇差を突き刺して抜かずに死んでしまった。
申の刻(午後3時)のことであった。
翌申刻、検使は御目付永井太郎左衛門・湯元貞右衛門・五十人目付阿知波丹左衛門。
徳山七郎次郎娘15。
男21。
晦日のところを見るように。
野方御代官であった。