名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

円右衛門の妻が密通したのも孫九郎か

享保1年7月13日。
以前、今年の踊りは問題ないと云々。
激しい踊りも許されたと大声で騒ぎ、町々では踊りの衣装を拵え大騒ぎと。
しかし、この日町奉行か急いで書付で裏家などに踊所を拵え、その上踊衣服を拵えて一切踊らないように触れ回る。
前々は書付でなく口上であった。
見廻りの者が廻るので、もし違犯の者がいればきつく申し付けると。
このため急に熱が冷めると。

出来町北側日置太郎七の借屋井田源助手代高津宅兵衛三男同孫九郎のところへ石河主膳側小姓浅川五左衛門が辰(午前7時)過ぎ2度訪ねたが留守だった。
孫九郎は父と同居し19才、五左衛門は23才。
3度目には孫九郎の部屋に入って待っていた。
孫九郎が戻り、父が月額を剃る部屋へ行くと、手を出すことなく切り殺された。
五左衛門が台所へ現れた時、父は鬚を剃っていたが騒ぎを聞きつけ、外へは出るなと言った。
五左衛門はわかったと台所にどかんと座り、肌を脱ぎ、鐔本(元)まで突き刺して自害した。
その間に宅兵衛が後ろから首を半ばまで切り、その血の付いた刃を子に持たせた。
14日夜、所支配方大津瀬左衛門手代谷川吉兵衛がやって来て検視を行った。
孫九郎を切って自害ということでことを済ませた。
宅兵衛は初め清兵衛といい、御屋形の手代であった。
孫九郎の兄2人が奉公していた。
五左衛門兄も主膳の中小姓で、兄弟、孫九郎は同じ町の南側に住んでいた。
五左衛門の実母は盲であった。
嫂(兄嫁)は悪人で五左衛門のことをあれこれ悪口を言っていたと云々。
近所北側の壱岐守(竹腰)足軽に娘3人がいた。
この足軽は今は家にいた。
姉2人は奉公に出て、16の娘が家にいた。
五左衛門はこの娘に惚れて、孫九郎に仲介を頼んでいた。
孫九郎は五左衛門を適当にだまし、金などをとって自分が犯すと云々。
孫九郎は極悪人であった。
近所に酒屋円右衛門という者がいた。
この妻は以前密通していた。
子が2、3人いた。
この妻は14日夜に自殺した。
これもまた吉兵衛が検視した。