名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

昨年12月28日の事件、20両消えてました

正徳6年4月22日。
一昨年年末に小塩円右に頼まれてやって来た中間林右衛門が篭送りとなる。
御蔵手代2人に暇を出す。
茂左と儀兵2人に20両を弁済するようにと云々。

広井村の伝馬橋裏九尺町滝川弥一右衛門家来河野茂右衛門借家のうんどんや(うどん屋)又右衛門のところで口論がある。
道家伊右衛門・新道町権六・江戸や筋六蔵のところをいる染右衛門・石川靭負殿中間長右衛門・新道七間長屋平七・同所八軒長屋助蔵借屋仙右衛門たち。
中嶋郡赤池村から来ていた佐右衛門・新道七間長屋米倉平蔵借屋又七・同断長八・魚の棚善左衛門のところに厄介になっている与次兵衛・せんけん(浅間)の町新長屋久次郎のところに厄介になっている元助たち。
佐右衛門は替地出来町時右衛門のところにおり、日用取をしていた。
この輩は桑名少将が江戸へ下る際供廻りの日用を請け合い、その打ち合わせのために替地出来町日用頭時右衛門のところに集まっていたところ、食事の時間になったのでこのうんどんやへ全員で出向き、うどんが食べたいと作らせていたところ、大勢の者たちが声高に話をしていたので、時右衛門がこの者たちに向かって静かにしてくれないかと言ったところ、このような商売をしているのだからうるさいものだ、いやならばお前たちが止めればいいだろうとなおさら大声で言い放ったので双方取っ組み合いとなった。
近所の者たちに仲裁したが怪我をしてしまった。
傷を負ったのはうんどんや又右衛門、子又兵衛。仲裁は相借屋弥兵衛、子平右衛門。
支配所だったので益田安兵衛に知らせた。
このため人がやって来て捕えた。
4人を捕えて預けた。
ほかの者たちもわかり、預けられた。
5月3日、御国奉行で双方を詮議したところ一概には決められず、それぞれのところへ預けた。
仲裁した者にはお構いなし。
ゑびす屋は強欲だったので叩き切られ、隣の弥兵はそば(股立)を切られたが、その後何事もなく赦された。
そのうち後に残っていて捕えられた者ばかりが追放となる。