名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

確かに性悪者

正徳6年3月21日。
文左衛門は申(午後3時)から与左へ出かける。
頼母子連衆(仲間)は16人。
元右亭主ともに1分14匁3分ずつ出す。
大塩新七と伝右、取次が5両ずつ得る。
膳が出て、酒を気持ちよく頂く。
戌(午後7時)前に文左衛門は帰る。

石川左源治は靭負殿と関わりのある者で、去年まで靭負殿長屋に住んでいたが、性悪者で池田八郎右衛門のところに遣わし置き、4人扶持に金7両ずつを与えた。
取次役と云々。
近頃、靭負殿は上野へ出かけ、この留守に家老1人ずつが屋敷に泊まった。
この夜は八郎右衛門も屋敷に泊まっていた。
この留守に女を八郎右衛門座敷に左源治は呼び寄せ、殺して自らも死んでしまった。
女は25、6歳であった。
この3月まで八郎右衛門のところに奉公していた女であった。
嫌がって座敷中を逃げ回った様子だった。
左源治は21歳。