名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

あまり喪に服するという感覚はないようです

正徳6年3月14日。
文左衛門は貞儀に誘われ、巳(午前9時)頃七つ寺へ出かける。
三郎四郎・伴太・助右などあちこち寄り道をして午(午前1時)頃七つ寺に到着する。
酒を頂き、その後食事も頂く。
宥山・周伝・知伝は夕暮れに帰る。
酒宴を楽しむ。
夜には貞清がやって来て、子(午後11時)過ぎまでいる。
七つ寺の弁才天は天和二戌年に吉沢検校などが立てたものであった。
本尊は八臂の弁才天で性高院にあったのを貞儀から貰い、七つ寺に遣わした。
10月頃のことか、供養を行った。
その後雷が拝殿に落ち、北の方の柱が2本裂け、その上水野金兵衛が書いた歌仙は北にあったものは少し今煤けていた。
若宮の門の松に落ちたのは寛文八年申のことか。