名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

なぜに、こんなことを

正徳6年2月10日。
隼人正家老小笠原金大夫は以前眼の病気で小池奥左より前に引き込んでいた。
昨年9月の頃か、隠居を願い出た。
子に250石をと仰せ付けられたが何やら不満で、その後書置をし、子を連れて行方をくらましたのを内密に呼び戻した。
不満で気分も晴れなかった。
時々子どもには腹を切れと勧めていた。
この朝珍しい客が来たと子に髪を結わせ、自分で衣服を着替え、その後座敷に子を呼ぶが、内儀は事情がわかって子を遣わせなかった。
その後裏へ出て行った。
摘み菜をするといって出て行ったが、隣の屋根の上に大工がいると内儀を中に入れ、子の首を後ろから切って殺し、その後小さな脇差と取り替えて中に入り、子の側で腹を切り、喉を切った。
従弟の河野平左衛門などが駆けつけるまで生きていた。
物も言わず、手に何かを書いたけれど読めなかったと云々。
金大夫は隠居しても名を変えなかった。
金持ちで粗書(?)も読むことができた。
妻の父は兼松貞入であった。
その他には親類もいないのか道具を片付けた時には乞食などが持ち運び、そのまま盗み去ってしまってどうしようもなかったと云々。
亀尾天神の向かいであった。
子は実子で長次郎といい、7、8歳であった。
金大夫は46才だった。