正徳6年1月14日。
9日、天野源蔵は名を治部と改める。
先祖の孫七郎は晩年子の助兵衛に名を譲り、孫七郎と名乗らせ、自分には治部と。
祖父惣左衛門は故あった近衛様に奉公していた。
その際に治部亟と名乗っていた。
大道寺宮門は昨年冬の御小姓立源太役替の際に御側足軽頭を仰せつけられと言ってきたのも関わらず、駿河守殿が辞退した。
他にふさわしい人物がいるように思われるし、いまだに奉公に慣れぬ若輩者なので請け難いと言い、辞退された。
そのためこの役儀はしばらく空席の後、山寺に仰せ付けられた。
このため知行代で奥組に召し出された。