正徳5年11月25日。
渡辺新左衛門が京へ結納の使者として尾張を出発する。
200両を拝借する。
御供番は魚住半右衛門も出かける。
直参衆は評定所へ出向くようにとの手紙が一昨日御目付からある。
御目付が直接触れる衆だけが出向く。
御馬廻・御書院番などは出向かず。
大寄合から下の者には周防守(織田貞幹)が申し渡され、奥田仙右衛門が書付を読む。
早朝から何れも出向き、未(午後1時)過ぎまでかかる。
殊の外大勢で混乱すると。
天和の時は主税殿の屋敷へ朝からと昼からの2つに分けたとのこと。
その時は寄合以下は昼から出向いたと。
瑞祥院様(徳川吉通正室)の飯米は必要なだけであったが、来る申年からは300石ずつに、金は6000両のところ4000両になる。
他に100両の御手金。
本寿院様(徳川吉通生母)の飯米は必要なだけであったが、300石になり、金は7000両のところ3000両になる。
飯米は最初は600石か。
九条様はただ今までは米400石のところ100石になる。
賢官様は金200両のところ100両になる。
梅昌院様(徳川綱誠側室)の米は1200石のところ700石になる。
出雲様(松平義方)の米は10000石のところ5000石になり、金は1000両のところ2000両になる。
日向守様(松平義孝)も同様。
但馬守様(松平友著)は米6000石のところ4500石になり、金2000両のところ1000石になる。
妙園院様(徳川光友娘)は□(欠字)。
千姫様(徳川吉通娘)は米30石になり、金1000両のところ900両になる。
三姫様(徳川吉通娘)は米50石、金800両のところ700両になる。
清水院は60石。
林光院は500石のところ200石となる。