正徳5年8月3日。
朝食後、文左衛門は寺を詣でる。
文左衛門と僕で昨日直した石塔のところの土を固め、掃除などをする。
夜、巾下奥田仙右衛門のところへ盗みが1人入り、女部屋の長持ちを引きずり出す。
以前近所で同じようなことがあったのですぐに人が集まり、少しは取り返したと。
長持ちは裏の畠に捨ててあり、盗人は逃げ去る。
その他にも近頃巾下であちこちに盗みが入ると云々。
仙右衛門は在宅と。
昨夜、城内に盗みが入ったことについてはその全てをわかりやすいようにひとところに集めて記す。
申刻(午後3時)、摂津守様(松平義行)が60歳で亡くなる。
先月30日申(午後3時)頃から病を発し、楠道二が薬を処方する。
8月1日の晩方から公儀の医者の薬を召し上がる。
松平隼人正殿が暇乞いに訪れ、帰られてからすぐにか、それとも途中でか。
式台(控えの間)まで戻られた御用人衆は御右筆部屋へ来るようにと、奥から容態を知らせてきたのは同じ頃とのこと。
それから終には正気に戻らずと、中風であった。
8月2日に病状を尋ねる上使の御奏者松平宮内少輔が来られる。
同6日の朝名古屋へ二人前(二人前飛脚、早飛脚)が到着する。
同10日、天徳寺に葬る。
崇巌院殿前摂州刺史羽林次将郭誉俊月体道大居士。
奥様の法名は嶺松院様と。
同14日から16日まで三百部の法事が行われる。
(摂津守は高須藩主松平義行)