正徳5年6月16日。
母親の足が少し冷たいようで、脈も昨日より弱くなる。
息も苦しく、舌に白滞(腫れ物?)ができ、その他口中にも。
蜜を舌の上に塗る。
朝の間、粥を2度食べる。
ただ関節が砕けるようで、身体も動かしがたく、寝ていると言う。
この朝、水野正達を迎えに遣わし、呼び寄せて診てもらったところ、かなり悪いと言われる。
薬1貼を置いていく。
夜にもう一度診に来ると云々。
巳(午前9時)頃、足が動かしがたく、三里に灸をしてくれと言う。
足を縛っておけとのことで帛(絹)で結わえる。
恭庵に手紙を遣わし、病人が他の医師に診てもらいたいと言っていると遣わす。
13日の夕暮れにやって来て、夜までいる。
決まりで草履銭を100文貰うと言うので今朝500遣わす。
この日は前々よりも固い粥を5、6度食べる。
大根おろし、山芋おろしを入れて煮たかつおの入った味噌汁を食べたいとのことで用意すると、今までのよりも甘いと言って食事はとるが、顔色は何となく悪く、足も少し冷たい。
手も昼頃から少し冷たい。
1日の数は27度あまり。
申半(午後4時)頃、脈が悪いと半右殿が言うので正達を呼びにやり、診せたところ急変だから夜中を越せないと云々。
人参2分の参附姜桂湯を1貼を置いていく。
これで手足は暖かくなり、腹の疼き、せつみ(?関節の痛み)などもある。
目覚めたら知らしてほしい、そうでなければ打つ手はないと云々。
申(午後3時)頃、たくさん排便するが、その後は長い間なし。
これまた変なことであった。
この日は腹は疼かず、ほとんど下痢で眠っている。
夕暮れ前、おこんがやって来る。
喜んでいろいろと話をする。
夜になって玄瑞を呼んで診せたところ、もはやどうしようもないと参附湯人参8分を用意し、2、3度飲み、その後薬はいらないと言う。
戌半(午後8時)頃のことであった。
手足は冷たく、冷汗が出るが、暑いと言い、少しでも手足に衣服を置くと自ら取って度々寝返りをうつ。
昨日から今朝までは問乱なのか、亥(午後9時)頃から度々水を求め、文左衛門とコンなどが紙に水を湿して口に入れると吸う。
寅(午前3時)前、度々下痢をする。
苦しい中で心配することでもないのに文左衛門に酒を飲むなと言うことが2度。
おこん・半右衛門が心配するなと言うと頷いたようであった。
半右殿に木綿の嶋のよい布団をと言う。
元右衛門が来たらこの部屋にと申される。
その他にも時々話をされ、息が絶えるまで変わることはなかった。
寅(午前3時)頃、2度わけのわからないことを言う。
1つはお終いかと言い、もう一度はもをきよ(もう起きる?)と言う。
発熱のためか、その上に参附の薬で朦朧とするためこのようなことを言うのか。
病気の間に度々死ぬことは決まったことであるが、ただただ苦しまずに死にたいと言う。
果たして少しも苦しい様子ではなかった。
時々水、水と言い、暑いとも言う。
子(午後11時)頃から手足が氷のようになり、滴る汗もとても冷たい。
文左衛門とこんは側にいて手足を撫でてさする。
寅刻(午前3時)頃までは話をすると返事があったが、その後は難しいようでこちらからは話しかけず、向こうからも返事はなかった。
寅半(午前4時)過ぎまで、水に煙草を度々求めて飲む。
寅半(午前4時)からは脈も絶え、息も絶え絶えになる。
段々明かりが消えるように息が絶え、卯1点(午前5時過ぎ)頃、亡くなる。
文左衛門はあてもなく歩き回り、大声で泣き悲しみに暮れる。
夜になると肉が落ち、夜中から肘やその他のあちこちで骨が表れ、あちこちがくぼみ、寅刻(午前3時)頃から指先もまっすぐにならず、指1本ずつが筋だって分かれたようになる。
顔も変ってしまい、悲しさはひとかどである。
夜中に集まった衆は弥四夫婦・源右・半右・文助・おかつどの、夕方から夜中過ぎまでいた衆は瀬左・与五左・丹右・勘八・甚左・新蔵・友四・理助。