名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

必要な時は値が上がる

正徳5年6月15日。
この朝から夕暮れまで31度。
昼前までは気分も良いようで話も度々する。
水野から使者でさんがやって来ると長々と話をし、粥を1日に少しずつ3、4度食べる。
昼も熱がある。
脈も速く、どうしようもなさそうである。
小便も時々出る。
舌に白滞(白いブツブツ)ができて話しずらく、食事もしにくいと言う。
腹も疼いて切ないと言う。
夕暮れ前に恭庵がやって来て診て言うには、何も変わることはないと云々。
昨朝の薬は苦いと言って飲まないと言うと、木香が入っているので苦いからと調合し直す。
夜になってこの薬を飲み、胸が苦しく、乳の下が痛むようだと言い、2、3度飲んで飲まなかった。
夜中に13度。
1晩中よく眠れなかった。
どうして寝ていいかわからないと言い、急に仰向けになったりうつぶせになったりと落ち着かなかった。
これは問乱という質の悪い病状だった。
足が少し冷えるようであった。

濃州公儀代官から餅米が必要とのことで、300俵あまりを名古屋で入札し、買い取る。
美濃では干飯がつめ直しの年のため。
1両で1斗6升5合で落札する。
前代未聞の高値であった。

天野治郎の麦は1両で4斗2升。

戸田村の24、5の百姓梅三郎が同村の天神の森で脇差で自害し損ねる。