名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

どうしてこんな凶行に及んだ

正徳5年6月7日。
申(午後3時)過ぎ、石川兵庫が名古屋に到着する。

申(午後3時)頃、藤井一郎右衛門悉皆人で40ばかりの伊藤半右衛門が表の井戸のあたりで行水していると、弟の弾七で31になる中間関助が後ろから気づかれないように左の肘を切りつけ、少し傷つく。
半右衛門は切りつけられたので脇差を取りに行こうとする。
長屋へ行くところを更に腹などを切りつけ、はらわたが出る。
仮長屋の中で死んでしまう。
一郎右衛門は江戸へ行っており、留守であった。
昨日から長屋の作事が行われていた。
門には繋金(鍵)がしてあった。
中間、その他日用は怖がって門のところにいたので、関助は門から出れなかった。
その内弾七が現れたので、東の塀を越えて逃げようとするのを右の肘を切り落とし、その上斜めに切りつける。
関助は脇差を鞘にも入れずに持ち、塀を乗り越えようとする。
御目付へ報告には、一郎右衛門悉皆人を切り殺した上、弾七に手向かってきたので手討にしたと云々。
検使はなし。
翌日の夕方、御目付のところから、この死体は主人に任せるので請人に渡すようにと云々。
亥(午後9時)頃に請人が受け取る。