正徳5年4月17日。
瑞祥院様(徳川吉通正室)・千姫様(徳川吉通長女)が卯半(午前6時)に桟敷に出られる。
三つ姫(徳川吉通次女、徳川宗勝正室)も出向かれ、(山車の巡行を)片道だけを見られて帰られる。
雷は行き戻りとも桟敷の前で囃をする。
尺八も行き戻りとも吹いて聞かせる。
辰半(午前8時)過ぎ始まり、午(午前11時)過ぎに終わる。
未7刻(午後4時半)に戻られ、日が沈んで帰られる。
押乗は間宮伴太夫・橘田与左衛門が勤める。
町廻りは青山儀左衛門・兼松又左衛門が勤める。
兼松十郎左衛門が病気のため急に又左衛門となる。
五十人目付相原久米右衛門・宮田甚蔵・阿知波丹左衛門・小久保源助・野原伸介が勤める。
村からの見物は少ない。
今年は特に見事なものもなく、替えたところもなかった。
文左衛門は卯半(午前6時)に御屋敷奉行の桟敷へ行き、酒や食事を楽しみ、夕暮れに帰る。
大母衣さしは特に弱ってしまい、目などを回し、度々気付を与え、何とか介抱する。
この夜に死んでしまうと云々。
吉見は七つ道具を止めて、褐衣(かちい、低い武官の正装)が2人、その他に手振(てぶり、従者)・如木(ちょぼく、供の下級役人)を召し連れる。
手振は白布にヤナサビ(柳皺)の烏帽子。
日光の名代は瑞祥院様(徳川吉通正室)から山内治大夫、摂州様(松平義行)から吉田八郎左衛門、出雲守様(松平義方)から水野善次左衛門、安房守様(松平通温)から市辺伊兵衛が勤める。
いずれも大分の物入りと云々。
日光での宿代は昔から黄金1枚ずつ、道中1人につき木賃が銀9匁ずつ。
日光では天和の時と同様に餅が売れ残り、安値と云々。