名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

これぞ僧の鏡

正徳5年2月25日。
飛騨守(渡辺定綱)屋敷へ御悔のため安田元右衛門が江戸からやって来る。

巾下浄土宗宝周寺へ増上寺一文字の能化(長老)随哲和尚がやって来て談義を行う。
これは先住の弟子であったためである。
先住の隠居は正月の初めから食事を摂らず、近頃絶食する。
年は80で信心深い人物であった。
もう死期が近いと、毎日行水(身を清めること)見廻の人々にも浮世の塵など語るな、仏法のことで1日1晩でもくたびれない、あるいは三皈五戒(三宝に帰依し、五つのことを禁じる戒め)十念(南無阿弥陀仏を十回唱える)などを授け、1日に3度ずつ寺中を集めて大念仏を行うと云々。
この日は法然の忌日なので死ぬであろうと朝から念仏をし、夜になると起きて合掌し、鉦を打たせて念仏はじめ一せめ(責め)した後、十念が終わるや否や合爪(合掌)、乱れることなく息絶える。

津嶋で金持ちなどが施行(施し)を行ったほか、智多緒川の金持ちはは多く米を用意し、2合を12文で売った。
熱田でも小沢氏などが話し合って施行すると。
上野へ夫食(貸付米や金銭)が1人前100文で行き渡る。
成瀬氏知行へも夫食が1人前50文で。
世の中は困窮にあえいでいるが、大須の芝居の賑わい、本願寺掛所の賑わいなどは甚だしい。

熱田大ぜこ(瀬子)内で牛嶋という肴売が近所の13になる可愛い娘を盗み、池鯉鮒へ売ったことが露見したので捕らえられ、所の番が厳しくつく。

近頃今井水右衛門が病死する。
聟養子に但馬守様(松平友著)衆熊井幸右衛門との願いが叶う。