正徳5年2月10日。
飛騨守(渡辺定綱)は昨日午(午前11時)過ぎから薬が通らないと云々。
今まで立家養見が治療していた。
この日は酒湯と云々。
申(午後3時)過ぎ、栄波、栄波と2度呼びかけて息絶えた。
48才であった。
栄波は色事が巧み、それでたいへん出世した坊主であった。
野々垣留右衛門という19歳の若者の父は野々垣藤左衛門という飛騨守譜代の者であった。
留右衛門は初め熱田正覚寺秘蔵の小姓で小七と名乗っており、飛州発病の同じ日に疱瘡となり、11日の朝に死んでしまった。
同じく守綱寺の土となった。
飛州が特に寵愛しており、やがて出世する身であったのに。
定綱隠前朝散大夫飛州大守釈道海。