名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

徳川吉通の法事のような気がしてきました

正徳4年7月26日。
行赦が3人ある

名代は束帯で壱岐守(竹腰)が勤める。
法事が終わり、紀州から使者は20枚、寄合広田十兵衛が勤める。
御馳走懸り横井十左衛門・岡嶋半右衛門・新番3人が勤める。
水戸より使者は御供番戸奈門之丞が勤める。
御馳走懸り野崎源右衛門・船越金右衛門・新番3人が勤める。
安藝殿からの使者は同心組頭穂坂金大夫が勤める。
御馳走懸り下条庄兵衛が勤める。

摂政殿は経と大判1枚の黄金10枚。
堅宮方は経。
鷹司若君よりも経。
摂政殿若君よりも経。
右四者は御飛脚(急用の使者)がやって来る。
相応寺へも建中寺同様に御布施銀30枚。
中日から以後は相応寺が内陣に詰める。

茶屋への払いが少ないので近頃15、6人が京からやって来て、名古屋に留まって訴える。

少し前、浪人竹内十郎には子がいた。
十郎左衛門は70歳余りで、初めは勢州津におり、その後奥州にいた。
いろいろな鉄砲を撃つことができ、大火箭角円子などと言われていた。
自身は浪人なので撃つことができなかったので、弟子高梨五左衛門に撃たせた。
西川宇右衛門が仲介し、取り持った者も多かった。