名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

恨みだろうか

正徳4年7月10日。
文左衛門は役料金を蔵で請け取る。
5両3分、銀4分で1両を6斗6升に替える。

夕暮れ過ぎ、若宮の横町御旅所の前で靭負殿代官山本三郎左衛門の妻の甥山本孫平次20才が切られて死んでいた。
後ろを斜めに1ヶ所、刀も抜いておらず羽織を着たままであった。
孫平次は近松与次右衛門内詰の見習いであった。
家は前沢だった。
酉半(午後6時)に帰る際、守綱寺のあたりで切られ、大声で叫んで助けを求めたが逃げられ、ここまでやって来て倒れ、死んでしまった。
孫平次の弟が聞きつけてやって来たが、暗くて見えなかったので桔梗の紋のついた提灯を持った者がいたのでこれを借りて見つけたと云々。
この者は怖くなって提灯を捨てて逃げ去った。
弟は孫平次の刀を抜いて置いたと云々。