名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

遷牌も大変だなあ

正徳4年6月26日。
辰(午前7時)過ぎ、遷牌が行われる。
本堂で銅鈸(どうばち、シンバルのようなもの)などが行われ、導師などが現れて洒水(清めの水)、散花、薫香が行われる。
相応寺が導師を勤める。
寺ならびに上人は20人ばかり。
位牌には白ねりをかけ、道心4人で吊る。
名代は津田兵部で長袴で供をする。
五十人衆が警固する。
本堂階下の東の方に五十人頭、御歩行頭、御側足軽頭が控える。
御目見は1人ずつ行う。
鐘撞堂の北に甚左を先頭に喜平次・半四・安藤甚左・相役・文左衛門が控え、御目見を行う。
その次に十人衆が控える。
(麻上下)。
壱岐守(竹腰正竹)殿その他御老中・御城代衆・中通り衆・大目付衆は書院から直に霊屋へ向かい、そこに控える。
遷牌には御連枝様方などから多くの名代がある。
相応寺へ3枚、牌前に銀10枚、備えの寺へ1枚、上人に2分、西堂へ20匁、平僧へ1分ずつ。
その他ごぜ(瞽女)・座頭・乞食にも鳥目を下される。

近頃、納屋でうら筵屋吉兵衛が自殺する。
延米のことと云々。
その他にも失踪した者があると。

昨日、下方弥兵衛の下女が萱葉池に身を投げて死ぬ。
妊娠したことを母に叱られたため。

近頃、真虫池で水浴びをしていて死んだ男がいた。