名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

極刑を免れたのも神の恩なの

正徳4年5月27日。
伏見屋は八兵衛が追放となり、子は八兵衛妻に下される。
八兵衛父権兵衛は歩いて町々を引き廻すことをせずに土器野へ連れて行き、磔となる。
札にはにせ金を作ると云々。
稲荷の御正躰の御金物を八兵衛が奉じていたので神の恩徳をなくなることを慮り、寛大にも罪を許す決着となった。

去年鈴木十郎兵衛を切った者の死体は塩漬けにしてあったが、この日磔とする。
村瀬藤七。

安房守様(松平通温)表番高木理兵衛が泊番の留守に、召仕の男が理兵衛の衣類などを盗って逃げ去った。
これは4月中旬のこと。
その品を怪しむうちに、同役丹羽覚之右衛門・福住甚六、それに名を忘れたがもう一人の召仕の中にこの盗品があったので捕らえ、戸山屋敷の明長屋へ入れる。
房州様から番が附き、詮議が行われる。
博奕が原因であった。
白状したのでこの僕どもはこの日追放となる。
右の明長屋へ犯人どもを入れた際、林又四郎召仕中間が行方をくらます。
これも仲間と云々。