名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

さゝらって民間芸能です

正徳4年3月16日。
江州三井寺に関係する近松寺から御代官桜井作之右衛門へ状が届く。
下小田井村さゝら(簓)沢田林太夫はさゝらの官(務め)をし、小頭で領内のさゝらを指揮していた。
しかし近年領内のさゝらの官をしないので、林大夫に命じて官などをするように申し付けられる。
年寄衆へ御国奉行から報告したところ、さゝらのことはこちらで扱うことではないので返答することなくそのままにされた。
村の庄屋を呼んでそのわけを申し遣わすように。
ちなみに記しておく。
昔から村々のさゝらは代々のものは少なかった。
また困窮により他へ行ってしまった。
物貰いも見苦しいと村の番人を勤めてさゝらと呼ばれるものも多かった。
またさゝらの家柄であっても浅ましい輩であったので祖先を知らないものも多かった。
ただ春日井郡野田村のさゝら弥三郎という者は家は確かで、しかも乞食役は勤めていなかった。
密蔵院潅頂の時、寺へ勤めて阿伽(功徳水)の水を汲む層の金剛草履を調進するのを家の務めとする者がいたと云々。
そして近松寺へさゝらの缶を願い出て水衣・念珠などを許される。
しかし近年はさゝらの官をする者はいないと云々。