正徳4年3月8日。
寄合から直ちに弥とともに万松寺前へ出かける。
大門通りを西へ70間(1間は約1、8メートル)ばかりの南寄り善篤寺の構えで日比野只四郎という者が女を切って自殺したのを見る。
大小刀を抜き、紬の着物・羽織・咽を突いて貫いていた。
女は茶小紋の木綿の着物であった。
首の半ば以上まで切り、喉へ突きこんで刎ねていた。
只四郎父は武右衛門といい、法花寺町本住寺の地子であった。
初めは源了院様の御賄で、今は浪人であった。
女の母は寡婦で武右衛門の借屋に住んでいた。
この女は武右衛門のところで3年奉公していたが、今月4日に武右衛門の妻が気に入らず暇を出したので新町あたりに奉公に出ていた。
只四郎はこの別れに堪えかねて女を誘い、昨晩中あちこちを連れて歩いた。
女は死ぬことに納得していないようで、涙を流しながら歩くのを見た者が多かった。
今朝の明け方前にここへやって来て死んだ。
只四郎のことは何やら隼人正へ願い出て、川崎仲右衛門と名を改め、書置もこの名で善篤寺の東隣久宝寺に二人で埋められることを願うと書いてあった。
女と男も19歳であった。
男は鈴木藤兵衛と少し関係があり、内詰めの見習いであった。
身持ちが悪いと云々。
この日の頃だろうか、北鷹匠町小普請高橋弥助が貧しさのあまりおかしくなり、雪隠で自殺する。
兄は太郎作といい、弟は一色前左衛門という。
子を仙右衛門という。