名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

今度は東海道を通っています

正徳3年10月29日。
源蔵は米6斗8升をこの日売払う。

五十人文助・金助・定助など来月7日に出発するはずのところ、一昨日の晩言いつけがあり、この日出発する。

酉(午後5時)、江戸を出棺する。
泊。
晦日、戸塚、差支えがあれば藤沢。
朔日、小田原、差し支えがあれば片町。
2日、沼津、差支えがあれば片町。
3日、江尻、差支えがあれば片町。
4日、金谷、差支えがあれば日坂。
5日、浜松、差支えがあれば片町。
6日、御油、差支えがあれば赤坂。
7日、鳴海。
昼。
晦日、川崎、差支えがあれば神奈川。
朔日、大磯、差支えがあれば片町。
2日、筥根、差支えがあれば片町。
3日、蒲原、差支えがあれば片町。
4日、岡部、差支えがあれば丸子。
5日、袋井。
6日、気賀。
7日、池鯉鮒。
この度もまた入棺の時に天徳寺が廻向を行い、法名をつける。
しかし、前々から名古屋ではこれを用いないので無用だと法名を尋ねなかった。
あちら(天徳寺)からも遠慮して話さなかったので、名古屋で法名を知る者もなかった。
天徳寺より円覚公の時にやって来た僧故順和尚と祖秀和尚が2人が供をして名古屋にやって来た。
11月9日の朝、両僧は江戸へ帰った。
前のように足軽が附いて行った。
御供帳。(後略)