正徳3年10月25日。
石川理左衛門は20日の準備で江戸へ下るようにと云々。
御供番平野伝左衛門等3人は30日の準備で江戸へ下るはずである。
文左衛門は夕暮れから弥四へ行く。
真壁喜右衛門は子がいなかったので、友四郎を不残の養子にすることを望む。
このための相談であった。
林惣左衛門・新蔵・甚左・甚太がやってきて相談する。
葬送・法事の御用懸りは石川内蔵之亟・小瀬新右衛門・津田六郎兵衛・箕形善左衛門が勤める。
円覚院様御百ヶ日の御用は玉置右膳・服部仁左衛門・野崎七右衛門が勤める。
以上は昨日御屋形で仰せ付けられる。