名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

仮の法名なんですね

正徳3年8月5日。
性高院・高岳院は夕暮れ頃尾張を出発し、木曽路へ迎えに出かける。
養林寺が病気のため性高院が向かい、和田と諏訪の間の長久保というところで霊柩を拝礼する。
そこから供をする。

この夜亥刻(午後9時)、霊棺市は市飼に寄る。
浦和で昼食をとる。
6日、鴻の巣に泊まる。
7日、昼は深谷、倉加野に泊まる。
8日、昼は板鼻、坂本に泊まる。
9日、昼は追分、望月に泊まる。
10日、昼は和田、下諏訪に泊まる。
11日、昼は本山、福嶋に泊まるはずであったが、筑摩川の増水のため12日に福嶋に泊まる。
13日、昼は須原、妻篭に泊まる。
14日、昼は中津川、大鍬に泊まる。
15日、昼は御嵩、土田に泊まる。
16日、昼は小牧。

天徳寺から故順和尚と沢峯西堂の両僧が供して名古屋へ向かう。
この両僧は納経してから足軽が附いて江戸へ帰る。
道中で廻向を行い、仮の法名は泰源院とする。
これは天徳寺が仮に付けた法名であった。
入棺の際に天徳寺つけ、廻向を行った法名であった。(御供帳は省略)