正徳3年7月2日。
文左衛門のところに板へぎが届く。
1両でひば榑20丁。
文左衛門のところから1人を遣わし、車賃は丁で80文。
板へぎは2800枚あった。
この日城での書き写したこと。
小普請組岩瀬源三郎は少し前藪村へ参詣したが、戻ってから暇を届けずに行ったことを役人衆などへも問い合わせるようにとあれこれ苦労していたところ、その後11歳の嫡子を突き殺し、自殺する。
乱心と。
正徳3年7月2日。
文左衛門のところに板へぎが届く。
1両でひば榑20丁。
文左衛門のところから1人を遣わし、車賃は丁で80文。
板へぎは2800枚あった。
この日城での書き写したこと。
小普請組岩瀬源三郎は少し前藪村へ参詣したが、戻ってから暇を届けずに行ったことを役人衆などへも問い合わせるようにとあれこれ苦労していたところ、その後11歳の嫡子を突き殺し、自殺する。
乱心と。