名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

得する人もいるんだ

正徳3年4月20日。
巳半(午前10時)前、祭礼が行われ、夕暮れに終わる。
町廻御目付は永井太郎左衛門・浅野弥一右衛門が勤める。
押乗は土岐甚右衛門・遠山所左衛門が勤める。

明暦元乙未年に22日になって以来、今度初めての祭礼延期であった。
元禄元辰、同8亥も雨が降ったが共に18日に行われた。
祭礼が延期されたので町中困っていた。
車引は1日100文の予定が1人400文となり、その他警固の練物の費用もかさみ、弁当の費用などもいくらかかることやら。
貧しい遠山所左衛門が雇った者は20人ばかりで、3日間の酒や食事で大きな出費であった。
その上3匁ずつ余分にとらせた。

呉服町の町代は差しさわりがあって橘の子に交代することとなり、30両入ったので喜んで急いで拵えた。
かぶろ(禿)1人を3両で雇うと云々。
22日に町奉行に褒められた上に銀2枚を与えられた。
これは前代未聞のことであった。
長者町和泉屋も供廻り(お供)が良いと褒められた。