正徳3年4月11日。
中西甚五兵衛は名古屋に戻る際、伊奈川で牽いていた馬が飛び跳ねて深い谷の中に落ちた。
一緒にいた口取1人も谷に落ちたが、中段で留まった。
馬はとても深い谷に落ち、どうしようもなかった。
この時、伊奈川の橋の修復のため詰めていた恒河左五兵がその場に現れた。
人足100人余りを出して馬・人とも引き上げたが、馬・人とも左五兵衛にまかされたのでここに預け置いた。
馬は足を折って死んでしまったが、人は生き残った。
須原から10町(1町は約100メートル)ほど名古屋寄りでのこと。
福留伝右衛門妻は町医者の□□と密通していたが、近頃は武平町下井上甚之丞家来の子で長屋に住む性悪者の小万物売八左衛門と昨年冬から密通と噂になっていた。
伝右衛門の妾3人ならびに若党・中間も全員八左衛門と妻の一味と云々。
このことが明らかになるが、ばかばかしいことと云々。