正徳3年3月10日。
昼から文左衛門は御作事奉行4人、小路奉行2人、上松奉行2人、斎谷小兵衛と弥次右と長久寺へ出かける。
素晴らしい景色を楽しむ。
食後、庭の外の仮山(築山)側の腰懸で酒を頂く。
その後に後段(供応の後に出る食事)を頂き、日が暮れて帰る。
甚左と2人の尼は明け方前に帰る。
文左衛門は市川甚左に七宗山の訴訟の原因を聞く。
長いことなので略す。
多々良次郎右衛門は先年から忠義の者だと聞こえてていた。
桧笠は木曽から出荷し、1年でおよそ8、9万ほどずつ出荷していた。
上松奉行の証文で外へ出荷していた。
七宗山・加淵の訴えはこの願いのことではないと云々。
昨9日に上松奉行から七宗山の百姓に留木・年貢は従来通りと申し付けたが、応じなかったと云々。
甚左衛門の去年の見分で、百姓それぞれに古草場を渡し、耕作の滞りもなく、山も境界を設け、年貢を申し付けていた。
そうすれば5年もすれば台所の炭や薪の金が必要なくなり、満足できるはずと云々。
この10日の朝、出雲様(松平義昌)屋敷の前で夫は40、妻は30ばかりの夫婦が菜刀で姉を殺して自殺する。
切うり(意味不明?)心中と。
7日の夜、光照院四十八夜に集まった人ごみの中で、門内左の方の松に釘8本を打ち付けてあった。
これは近頃日蓮宗が論破されたので、日蓮宗の愚か者の仕業かと思われる。
8日の夕暮れ、広井林市大夫の塀に火縄をくくり付けた猫で付火があり、それを見て人々が騒ぎ立てた。
猫が怖がって屋根に上がると、火がはらはらとこぼれ落ちたのをやあと追い落とすと。
すると猫は椽の下に入った。
隣から向いへと移り、中ノ町・三ツ蔵筋などでは互いに知らせ合って大騒ぎとなった。
あげくにどこかへ行ってしまい、両町では鶏が鳴く時間まで心配で寝むれなかったと云々。
葭町あたりへの放火のためだろうか。
それから猫があちこちにいたかと云々。