名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

やはり昔から演劇などの興行は金食い虫

正徳3年3月1日。
橘町で十二郎の狂言が行われる。
この度は今日から若女方として藤本竜田、道外方は三国勘九郎、立役中村源七の3人を呼び寄せる。
藤本竜田、初めは藤本花霧と名乗っていた。
但しこの興行は橘町の者が請け負ったと云々。
橘町に家を借り、十二郎が毎日機嫌伺に行く。
飲食などもてこ(手小)の者とは一緒に食べず、はなはだ大変だった。
送迎ならびに逗留の雑用も全て行っていた。
これらの37日分の支払いは藤本・三国は15両ずつ、源七は80両であった。
去年呼び寄せた立役坂田藤四郎もやって来ていた。

法花寺町南の田んぼの水門(イリ)の側で河村丹左衛門定出入三右衛門が女を刺し殺し、自分も死ぬ。
三右衛門は初めは権六と名乗っており、法花寺町の借屋に住んでいた。
父は丹左衛門といい、初めは定出入で今は子に譲っていた。
母もいた。
女は野墓のさんとの言われた惣嫁(下層の売春婦)で、法花寺町の僧の多くと関係を持っていた。
両親はこの女を家へ入れるのを許さなかった。
近頃無理やり権六のところに入ったがとても不和で、その上この節句前に借金などのことで大騒ぎとなりこうなってしまった。
男女ともに浅黄絹の一重帯、絹の下帯、さらし木綿の袷をいずれも新調し、死に旅立った。