名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

1日でいろいろな出来事が

正徳3年2月13日。
近頃、納屋橋近所へ馬が逃げ出しやって来た。
その後、馬子が馬を追ってきた。
4つになる子を抱えてやって来た婆をはね倒し、子の頭を蹴り割って殺してしまった。
婆も片方の肘を折ったと云々。

近頃、上畠の橋で油屋助九郎召仕が車を牽いてると、車が跳ねて股をひかれ、骨が砕けてしまった。
いまだ死なずと云々。

近頃、中障子で小笠原半平の馬に馬口労弥五兵衛の弟が乗っていたが、卒中だったのか落ちて死んでしまった。
馬も少し踏んだと云々。

この日、伏見町下小野寺弁右衛門構の堀に江戸への荷物のような筒2つが捨て置かれていた。
いつ置かれたかわからないが、夕暮れ前に見つけ出した。
夜更けに御目付浅野弥一右衛門などが見分すると、破紙・藁くずで役に立たないものが多く入っていたと云々。

この日、茶屋町町代次郎左衛門は大竹できつく戸を縛られる。
これは仏具屋太郎左衛門と借金のことを奉行所に訴え、この春120両を太郎左衛門から返済されていた。
元は、借金は150両と。
奉行所からの裁許がないうちに嫁を娶り、裏にはたくさん提灯を上げ、琴・三弦で大騒ぎをした。
野崎三郎右衛門は裏合せだったので驚いたと云々。
このためこの如く。