名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

三笠付は博奕なのですが、遊び方の説明は解読不能です

正徳2年12月29日。
夕暮れ頃、馬場一学の草履取が酔っ払い、衣服を脱いで庭の釜の段に置いて部屋に入る。
槍持ちがこの衣服を持って部屋へ行くと、草履取りが闇から急に槍持ちの頭を少し切り、そのまま裸で逃げ去る。

この秋から三笠付(みかさづけ)ということが大流行する。
三句付21文・四句付64文・五区付125文。
二の勝三つ越・六句付250。
二勝四つこす・七句付500、二の勝五つこす・十句付、一句付共に1貫200。
一句点あれば則一勝とる。
外れても二の勝はこす。
弐句付2貫500。
例一句付に同じ・惣付25貫。
一勝三、二の勝100はこす。

玉置豊三郎は行いがよくないとの願いにより、御預けを言いつけられる。
近江領の制札(道などに立てた札)などにも玉置豊三郎と記されていた。
千村・山村の領分でも制札などは両家老の名であったと云々。
御預けの際に五十人目付が近江へ行き、領分を請け取ろうとしたが承諾しなかったと云々。
京の所司代へ領地を当分御預けと云々。
言上がある間はと。
このことが本当かは聞き合わせる必要がある。
道具700両で売払い、300両は豊三郎家老から家来それぞれに遣わし、残る400両はト之が取ると。
我伝などの道具は売払わず。
豊三郎の家来はこれを恨んで1人もト之へ出入りしなかった。
元来豊三郎にト之は金を借りており、これを強く請求されて恨んでいたと云々。