正徳2年12月19日。
夜、津田奥右衛門の中間が盗みを殺すと云々。
幽我も奥右衛門も留守であった。
中間が話した文書では、夜食を食べて戻ると長屋から衣服を持ち出していたので、泥棒と言って部屋の中へ突き倒し、脇差を手探りで切りつけるが、切れなかったので突き殺したと云々。
この盗みは建中寺前西板橋のあたりの南側彦左衛門という古手売(古物商)であった。
この日奥右衛門が門を通った時、この中間が門に立っていてこう言った。
旦那の売払うものがあるので日が暮れてから来るように約束をした。
約束があったので彦左衛門は近所で4、5両を借りて持参した。
翌朝まで戻らなかったので、翌朝家から届け出があった。
殺された時、大きな音がして人殺しだ、出合え、出合えと叫ぶ声が近所中に聞こえた。
奥右衛門の父は青山六左衛門という渡辺道随(ママ)代官であった。
奥右衛門兄は青山伊右衛門という金持ちの浪人でかや(萱屋)町に住んでいた。
吉田六右衛門足軽が17になる妻の首を切り落とし、自害し損ねたがやがて死ぬ。