名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

今の詐欺事件によく似ている

正徳2年11月16日。
鈴木治郎左家来浅野伝右衛門の子は14歳ばかりで美しく、鼓を上手く打ったので森崎頼母が小姓分にして召し連れ、この春に江戸へ下った。
浅野伝右衛門は浪人風であったが家来分で町家に住んでいた。
角平という男が髪結いをしていたが密かに兄弟分となっていた。
角平とか曽我平とも。
7月頃、曽我平は悪だくみをし、伝右衛門のところへ御子息に旦那が御前で鼓を打たせたところ、皷は上手いが衣服が悪いと言われた。
早々に金を寄越してくれれば江戸にて衣服を仕立てて見た目をよくすると云々。
伝右衛門は7、8両を遣わした。
9月に大小を拵えると言ってきたのでまた5両を遣わした。
10月に入り白小袖裏付上下を仕立てると言ってきたので、叶うはずもないのに御側に召し出されるかと思い10両を遣わした。
その後ある人が伝右衛門に言ったのは、息子さんによく似た者が頭巾をかぶり、乗懸(乗懸馬)に乗っており、供もとても曽我平によく似ていたと。
江州高宮で会ったが、また知立でも会ったと。
伝右衛門が不審に思っているうちに、江戸から頼母家来がある日曽我平は主人の物を盗み、その上息子さんを連れて欠け落ちたと言ってきたと云々。
あわせて穏便の間であったので処分しなかったと云々。
伝右衛門は正気に返り、曽我平の在所濃州佐渡りへ行って尋ねると、いかにも近頃若衆1人を連れ、京へ上ると言って1泊して出発したと云々。
すぐに京へ上り、心当たりの大仏前へ行くと、大坂に用があると言って今朝下ったと言うので、伏見から小船を借りて急いで八軒屋へ着け、探し回ると禅僧との3人連れを見つけ出して問いただした。
曽我平が言うには、江戸でこの子は主人にわけがあるのか命さえ絶とうとしているようにに見えた。
あまりにもいたわしかったので連れだして逐電したと。
この僧は東山の住持で、よく知った者なので東福寺へ小姓に入るための請人を頼んだ、大坂に下ると嘘八百を並び立てた。
伝右衛門はまただまされ、かえって礼まで言った。
金3分を取り出して曽我平に持たせ、わが子は連れて今月1日に名古屋へ戻り、知らぬ顔で暮らした。
曽我平も連れてきたとも。
頼母父文甫へあの男を引きずり出して成敗しろと皆が言ったが、その必要はないと。
そんなことをすれば難しいことになる。
江戸でも処分しなかったのに、どうして尋ねだす必要があると言った。
侍は道理をわかっていない、小心者と人々は笑ってばかにした。