正徳2年10月26日。
崩御の際に公が登城しようとしたところ、隼人正が御殿に現れ、御供廻りはいつものようにと聞かれると、このような場合は準備はしていないからと言われて急いで出かけられる。
竹橋で追いつかれ、城の掃部殿(大老井伊直興)のところで御書院へ通るようにと言われた時、隼人正がこのような場合であるので御次の間まで参りたいと行かれ、御書院と御次の間の間の敷居に半分ずつかかって控えおり、その後奥へ通られる際は水戸殿と尾張殿にまかせると申され、掃部頭は承諾する。
水戸様は現れ、隼人正に御礼の挨拶と云々。
隼人正は御城附に硯箱と申され、鼻紙に書き、急いで名古屋へと云々。
崩御の一文字が来たけれど、公の様子が何も書かれていなかったので、飛騨守と相談して山城守は明日の昼までに知らせるようにと云々。
そのうちに隼人正の手紙がやって来て、公は落ち着いていると言ってきたので落着すると云々。
江戸では大いに隼人正をほめたたえる。
公の使命で西川順大夫が供をする。
他の御小姓たちは我らは役に立たないのかとつぶやくと云々。