正徳2年5月8日。
この日未(午後1時)頃から明日まで白林寺で一岳50年忌の法事、施餓鬼、行道が行われる。
9日には観音懺法が行われる。
この日の夕暮れ過ぎ、大沢無手右衛門の若党岩田源八という者が岡部藤左の横町を東へ向かっていると、何かが頭に取り付いたので刀を抜いて切り払った。
横町の地名はわからず。
切り払ったものは前に落ちたが、また飛びかかって来たので殴って切り落とした。
すぐにこれを提げて、刀を持ったまま立ち帰り、火を灯して見てみると年老いた鳶であった。
この翼を切って源八の家に吊るしておくと近所から見物人が多く集まった。
世間では化物の鳥を切っただとか、鷲を切っただとか、翼は9尺(1尺は30センチ)、嘴1尺5寸(1寸は約3センチ)などと大げさな噂話となった。
この源八は中嶋郡麻績(ヲウミ)村生まれで、祖先は覚兵衛と。
無手右衛門の馬の口とりで大坂の役を務め、代々の譜代であった。
近頃、あちこちで盗みが夜を通して入っていた。
鍛治屋町・久屋下あたりなどでは特に気がかりであった。
呉服町下某へも盗みが入った。
勝曼寺及び中川作兵衛などで、物だけを盗むことが多かった。
時には見つけ出され、知った侍だったので殺してしまっては大事になるので、激しく叩いたとか傷を蒙ったとかの噂がいろいろと。
これは鍛治屋下山城守組安田治左衛門の子作左衛門と云々。
沼田了慶の婿であった。
その後山城守からそれとなく行義(儀)を慎むようにとの内意があると云々。
作左衛門は大男で闇夜でもよく見えた。
そのため白犬といった。
もう一人、作左衛門に付き添う侍は小男で見えにくく、そのため黒犬といった。