正徳2年3月12日。
今月2日の黄昏、長嶋町武藤安左衛門の家の前で侍の中間と乞食が争い、中間を溝へ蹴り落した。
町人が出て来てあれこれするも、乞食は町人をつかんで放り投げた。
その間に中間は起きて上がり、一太刀切りつけてどこかへ行ってしまった。
乞食を町人は棒で打ちつけて追いかけた。
乞食は巾下浅間まで行き、少しの傷であったが一両日して死んでしまった。
少し前、河村丹左衛門門の外で青物売が道を塞いで休んでいたのを、押の者が通りかかり𠮟りつけた。
側にいたこの乞食は文句を言った。
押の者は怒って物売りの棒を取って乞食を叩くと、反対に乞食が棒をねじり取り、江川へ押し者を放り投げて去って行った。
押の者はようやく這い上がり、このことを目付に知らせた。
押の者には格段何もなかった。
この日、12日に里小牧村で山伏が切られていた。
代官から検視を行った。
この者は元は濃州八上村の生まれであった。
当国一の宮観了院の袈裟下で光明院と称した若者であった。
悪人で師の山伏が追い出した後、昨年から雲介(追剥)をしていた。
懐中には結(ユイ)袈裟・錫杖・護身法の切紙ならびに艶書(恋文)があった。
上書(封書)には若さままいる身よりと云々。
先月来宮したのか道中の小遣帳があった。
指に万力をはめて死んでいた。
24才で旅人を襲おうとして切られたかと云々。