正徳1年1月15日。
熱田の神事の際、杖を持って見物人を制していると杖が侍に当たり、侍はこれを叱りつけた。
杖付は誤て(謝って)伏せたが、側にいた杖付十兵衛という者がこんな時に杖が当たったぐらいで伏せるようなことではないと云々。
侍は含むところがあり、十兵衛をつけて行って茶屋で家を聞いた。
そして十兵衛が留守の時に家へ行き、十兵衛の妻にあれこれ様子を聞いて帰って行った。
十兵衛は田嶋丹波の歩使であった。
夜、急に戸を叩いて丹波から用があるので急いで来るようにと告げた。
十兵衛が出かけると、石橋のあたりで頭を切られ、打ちのめされて死んでしまった。
2人で両側から切りつけたようであった。
去年11月15日、朝岡甚五右衛門の槍持ちが鈴木安大夫の長屋に盗みに入り、僕の物を盗み去ったが、その後露見した。
町奉行から届けがあり、近頃、牢に入った。
この盗人は安太夫のところに長年奉公し、それから甚五右へ奉公に出ていた。
そしてこの如く。
正月13日、川口喜右衛門手代が高須で津守様百姓の庄屋を切って立ち退いた。
昨年冬、備前屋源六は大分借金があり、破産と云々。