正徳1年9月22日。
讃岐様実母が亡くなったので、馬廻小頭安藤権兵衛は使いとして江戸へ行った。
この日使いの勤めから帰り、使いの報告を鈴木新兵衛に話した。
それから横井孫右へ出かけたが、挨拶が済んでも立ち上がらなかった。
席に伏せてただただ泣いていた。
使いを勤め損ねたと云々。
そして急に駆け出し、道で大小を捨て安藤甚右衛門の長屋へ行き、又、泣いた。
甚右衛門隣の竹尾茂右衛門を呼び、とにかくなだめたけれど乱心として報告したと云々。
番の輩の多くは頭をはられ、諸士にも頭をはられた者がいたと。
権兵衛はよく泣くことが癖だったと云々。
とても貧乏していた。
使いを勤めたとき見送りの者に挨拶をしないことがあったが、その他に落ち度はなかった。