名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

余計なことを言った町人も悪いなあ

正徳1年7月23日。
巡見衆大目付兼道中奉行1290石松平石見守乗宗、勘定殿詰組頭300俵萩原源左衛門、勘定衆柘植兵太夫は昨夜起に泊まり、今夜鳴海に泊まる。

近頃、横地仁兵衛支配所板取の百姓金屋村の藤兵衛が巣鷹(巣の中にいる鷹のひな)のことで隼人正に怒られ、戸を縛る。
やがて赦される。

近頃、濃州岩手竹中主水の家来朋飼(ハウカヘ)左平治という者が所用で垂井へ出かけた。
雨が降っていたので傘をさしていると町人とぶつかり、逆にとがめた。
左平治が言うには、お前の傘が当たった。
傘をかざして通るべきだと云々。
町人は半町(1町は約100メートル)ばかり行ってしまったが、左平治は傘も木履も捨てて、逃がしてなるかと追いかけた。
左平治が言うには、お前は不届き者だ。
刀も持っていないので猫を殺すよりも簡単に殺すことができる。
それで脇差を取らせるのでこれで戦えと合羽のこはぜ(金具)を外し、脇差を抜いて差し出すと町人は急いで逃げ去り、そして垂井中で自分は左平次をやっつけたと触れ回ったと云々。
主水の家中にも噂はぱっと広まった。
左平次はそれを聞いて、わけがわからにが仕方がないので書置をして立ち退いた。
そしてその町人の家へ行って切り殺し、その母・妻子などまでもなで斬りにしたと云々。