正徳1年7月11日。
朝鮮人来聘につき、公儀から廻文がある。
使いを仰せ付けられたところの供番一二三番まで急に病気となり、勤めることができなくなった。
飯田源一が急いで行って勤めたが、既に領内を過ぎており、間に合わなかった。
後に大塩伝九郎・高木小兵衛の両人は叱られる。
正徳1年7月11日。
朝鮮人来聘につき、公儀から廻文がある。
使いを仰せ付けられたところの供番一二三番まで急に病気となり、勤めることができなくなった。
飯田源一が急いで行って勤めたが、既に領内を過ぎており、間に合わなかった。
後に大塩伝九郎・高木小兵衛の両人は叱られる。