宝永8年3月25日。
梅昌院様から寄附された木像天神のため若宮の社の巽(南東)に小祠を新たに建てる。
この日1日開帳する。
6、7日前、自然院地子の小万物屋たばこ屋円介が逐電する。
かねてからこの者に徳右衛門は金を工面していた。
逐電後その家に行き、金の代わりだと小間物のたんすを庄屋や誰へも断りもなしに持ち帰った。
女房はこれに気落ちし、血を吐いて死んだと云々。
寺社方から見分があると云々。
女房の腹には刃の傷ではないが傷があった。
徳右衛門が叩き殺したかと云々。
死体は塩漬けにして善行寺に預けられる。
26日、平岩平大夫へ徳右衛門を呼びよせて詮議を行い、また帰した。
29日未刻(午後1時)、安之右へ修理殿から手紙があり、徳右衛門のことはもはや尋ねることはないと。
町奉行衆から言ってきたのは、年寄衆も疑うようなことはないので前々の通り勤めるようにと云々。
このためこの女の死体を葬る。