名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

ここまで行けば酒乱

宝永7年11月7日。
26、7になる今井茂平治は水右衛門の養子であり、実は佐藤氏であった。
茂平治は江戸の者で30あまりの前田荻之右衛門を切り殺した。
大田慶治郎がやって来て、闇夜で何も見えなかったが剣の光で茂平治を捕らえた。
後に小姓役浅羽喜代ノ右衛門もやって来て力を合わせた。
このため慶治郎に銀10枚が下され、喜代ノ右衛門に7枚が下された。
朝岡平兵衛は鎖の入った羽織に手木(十手)を差し、急いで一番に駆け付けたと云々。
茂平治は磯貝伝大夫に預けられる。
平岩紋左衛門は土肥縫大夫に詮議を仰せ付けられる。
茂平治は大藤金右の甥であった。
若い頃から酒に酔っては、何度も脇差を抜くことがあった。
水右衛門は槍奉行であった。
前田も茂平治も小姓役であった。