名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

それでも礼はつくしたってことか

宝永7年11月1日。
戌刻(午後7時)、供番沖野一郎右衛門が使いにして評定所揚屋にて南部戸大夫・成田林蔵・村瀬彦蔵・小栗清太夫の4人に改易を申し渡す。
いずれも門の外から駕籠に乗せ、大小刀も渡し、思いのまま行かせる。
戸大夫妻子は昨年から今まで庄屋1人がかくまい置いてその世話になったいたが決着する。
浪人を改易とするのは珍しいことである。

七間町牢に入っていた三宅・高橋両人を評定所東に呼び寄せ、また一郎右衛門が申し渡す。
諸士の追放の体をとると云々。
一度下の牢に入った者に供番が使いとなるのは今までなかったことと云々。
この駕籠賃と金子はは東屋敷の番人足軽頭岡崎弥兵衛・森本孫助の2人が工面する。
三宅・高橋の2人には境川で大小刀を渡す。
仰せ渡しでは悪事に御耳に入りこの如くと。