名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

人が死んだんだけどなあ

宝永7年閏8月18日。
上水野の独り身の百姓が薪を担ぎ、大森あたりの坂で小畑の大田弥太郎の山の借家の油屋に出会った。
薪を安値にしろなどと争いになり、互いに棒で叩き合ったので、孫七は両方の親指を折られた。
往来の人たちがこれをおさめたと云々。
夕暮れ前、孫七は小畑の油屋へ出向いたが、油屋がまだ帰っていなかったので中へ入って待った。
油屋がその後帰って来て口論となり、木割てうな(手斧)で孫七の片鬢(頭の片方)を打ちまくり、正面から打ち込んだので孫七はすぐに死んでしまった。
油屋が脇差を差して逃げ出したのを近隣の者が止めようとしたが、脇差を振り回したので近づけず油屋は逃げ去った。
この妻子に弥太郎から番を付けたが、弥太郎の山に捨て置いた。
召仕になり、喧嘩ということにして何事もなくすませた。

法花寺は召されて近日江戸へ下る予定である。
これは姫君様の御産の祈祷のためである。