名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

確かに大っぴらにはできない

宝永7年閏8月4日。
東本願寺真如大僧正が先月26日江戸を出発し、鎌倉に寄って東海道を上り、今晩尾州の通所に到着する。
老いも若きも多く集まる。

この日、寺社奉行に願い出る。
熱田楽人は泰心院公の時代に舞楽音楽を習い、楽器・舞装束を新たに調達していた。
しかしその後大宮司季通に罪があって幽閉され、先公の思いはそのまま放っておかれたままである。
社人・楽人からの願いは、1人毎年5両ずつ神領金の中から下され、舞楽は昔のように6月4日・11月・新甞祭に興行したいと。

この夜東田町で、上松へ出向いて留守の上松手代伊藤八郎右衛門の19歳になる倅秀右衛門が雪隠へ行って戻ると、奥で人声がした。
何者だとがめると男が飛び出し、見上げたところを眉の間を切り、その後急いで切りつけ、とどめをさした。
盗んだ物を担いで逃げ出そうとしているようであった。
しかし、これは作り話であった。
この男は伝六といい、父は元勘定手代で平右衛門で今は手習いの師匠をしていた。
伝六は父も見限り、勘当するような者であった。
この伝六が秀右衛門の母と密通していることは誰もが知っていた。
大っぴらににはしにくいことなので盗みということにした。
この女は美しく、とても色を好んだと云々。
今年の暮、八郎右衛門にも暇を出す。
八郎右衛門は市川甚左衛門の配下であった。