宝永7年閏8月1日。
大須で十三郎の狂言が行われる。
この日から黄檗東輪寺で布薩戒の式が行われる。
500文から下は50文までで三皈戒の血脉(伝承)、結縁受戒が行われ、人がたくさん集まる。
先月19日に見た者が言うには、大道寺駿河守より以下の歴々、下々で帳に付けた者はこの日までで457人になり、銀は1枚、金は2分や1分。鳥目は500文や300文など。
斎領として金1両を出した者は7人。
総額では金20両余り、銭30貫ばかりに見えたと云々。
熱田社人中﨟と祝(ホツリ)でこの春から争い、この夏、奉行所に訴える。
装束のことで互いに言い分があり、先月15日に寺社奉行の考えで双方ともに大紋・直垂着用とした。
互いの家の貴賤の訴えは大宮司成人の後、必ずもう一度調べて正されることとする。
それまでに互いに争い、訴えるようであれば処罰するとの申し渡しがある。