名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

佐治のような奴を面倒くさい奴と言います

宝永7年7月11日。
この夜、前嶋武右衛門が逐電する。
初めは兵衛と名乗り、御目見であった。
17日に小頭五左衛門に報告すると、内密にまず調べて、23日に報告するようにと。
これは隼人正が申されたと云々。
武右衛門は淫乱で、佐五右衛門のところに奉公する女と馴染みとなった。
この女は今は暇が出されて他に住んでいた。
この女を連れて京都あたりへ出かけたが、少しあった貯えがなくなり、女を名古屋へ返し、武右衛門はどこへ行ったか分からないと、この女が後に申したと云々。

昨夜、宮町米屋市郎右衛門が町代の似せ物(代理)として、手代を連れて佐治新治郎のところへ押しかけ、いろいろなことがあった。
本来の町代が行かなかったので、代わりに市郎右衛門が出かけた。
借金のことは市郎右衛門に7分の理があったが、新治郎気に入らなかった。
新治郎は怒って似せの町代を長屋に押し入れ、錠を下ろして閉じ込めたと云々。
その他にもいろいろなことがあった。
11日の夜明け、どうやらこうやらおさめて帰った。
新治郎はその後平岩七大夫へ出かけ、町人として諸士に向かってさまざま悪口を言いい、申し付けるようにと言った。
しかし、その前に市郎右衛門から内密に奉行へ話を通してあったので、七大夫は取り合わなかった。
佐治は上手くいかずに帰ったと云々。