宝永7年3月11日。
卯刻(午前5時)、文左衛門は名古屋を出発し、清須清右衛門のところへ寄り、座敷と亭(屋敷)を見物する。
亭の下を五条川が流れ、岸辺の古木には藤がかかっている。
花が咲き、とても見事であったと云々。
鰡す(酢)を肴に酒を頂く。
惣兵衛のところに寄り、座敷を見物する。
酒を出すとのことだったが時間がなかったので辞退する。
起村右衛門七のところへ寄り、座敷を見物する。
するめを肴に酒が出たので少し頂く。
ここで茶屋に寄り、持たせた弁当を食べ、夕暮れ前に大垣に到着する。
油屋小兵衛のところに泊まる。
旅籠賃は140文ずつ。
名古屋で新番頭遠山伝十郎が疱瘡で死ぬ。