名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

光友は名君ですな

元禄13年10月7日。
昨日、白鳥へ払木(貯木の藩士への払下げ)を取りに遣わす。
この日、払木が届く。
9寸(1寸は約3センチ)源太(丸太)が2本、代金は1分。
5尺5寸(1尺は約30センチ)の榑(材木)8挺、1両で9丁8分。
源太の配達料は170文。
榑の水揚げ(水路の運搬)には129文。
家までは100文、ただし11丁(1丁は約100メートル)。
受け取った▲払木のこと。
源太はこの如く、榑は▲この間に阿寺山という字が入る手形が2通。
11挺、明桧(あすなろ)5尺5寸榑木。
これは自宅作事用で受け取った材木の代金は指示があり次第差し上げる。
以上。
元禄13年辰10月。
若尾政右衛門。
4人の名殿書。
(後略)
近頃、小林八右衛門は火事にあい、その土地に長屋を作り、そこへ中間、足軽らが引っ越すはずとなる。
中間は20人、御足軽は10人、寄合吉田五兵衛・横井猪右衛門・冨田勘左衛門が代々これを守る。
近頃、蔵へ同じ者の5人扶持手形が出される。
やむを得ず、美濃守が大公へ報告をすると、大公は困窮のためにこのようなことが起こるので、これを最後にこのようなことはなくしたい仰せになる。
いずれ上へ召し上げるものも多くいることであり、下では苦しみ、予期せぬことも起こってしまうと。
これは奉公しようとする思う志である。
格別にねぎらいのお考えと。
7月26日、馬廻組藤武兵衛が扶持手形2枚を蔵に出す。
これより前、鉄砲金具屋平三郎が18人扶持を下されていたが度々1つの手形を方々へ売るので、この夏隠居させ、甥に5人扶持下される。
平三郎は町の町人に御預け、外へ出ることを禁ずる。
6月初め、石川平四郎の脇差を松井林右衛門が借り、年末に何とか返却する。
手嶋庄蔵も貸しており、永らく取り返せなかったと。