名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

何という長寿、しかし奥さんとはいくつ年が離れていたのか

文政3年5月。
車の(之)町に住む与助という日雇いはこの辰年100歳を越えていた。
今も日雇いにやって来ていた。
我が大道寺家へも毎日日雇いに来ること60余年、暑さ寒さ、雨、晴関係なくやって来ては勤め、1日も他へ行くことはなかった。
自分の年を詳しくは覚えていなかった。
日々の仕事は少しずつ草を取り、あるいは壁土に入れるスサ(刻んだ藁)を切っていた。
近年は役立っているとは言えなかったけれど、渇命(飢えや渇きで命を落とす)に及ぶことを憐れみ雇っていた。
大道寺家の作事小屋から裏まで行く間に3、4度休んで行くなどしていた。
実年は156歳とのこと。
今年それを祝い、いろいろと賜物があった。
翌年正月に頓死(急死)してしまう。
妻は文政9年亥年、90歳の祝いをする。
これまた達者であった。